「志ば漬」は、大原の名刹・三千院の僧侶、聖応大師が発案したとされています。
その名前の由来は高倉帝の皇后である建礼門院にあると伝わり、大原の寂光院に閑居していた建礼門院に、地元民がしそを使った漬物を献上したところ、その味にたいそう喜んだそうです。
そして、あざやかな紫色にちなんで「紫葉漬け(むらさきはづけ)」と名付けられたと言い伝わっています。
Matatora
Shibazuke MATATORA
「志ば漬」は、大原の名刹・三千院の僧侶、聖応大師が発案したとされています。
その名前の由来は高倉帝の皇后である建礼門院にあると伝わり、大原の寂光院に閑居していた建礼門院に、地元民がしそを使った漬物を献上したところ、その味にたいそう喜んだそうです。
そして、あざやかな紫色にちなんで「紫葉漬け(むらさきはづけ)」と名付けられたと言い伝わっています。
Roots of Shibazuke
その昔、672年の壬申の乱で背中に矢を受けた天武天皇の傷を癒す為に現在の「かま風呂」を利用されたとも言い伝っています。又、お食事に粗末なものしか無い中できる限りの食材でおもてなしをする際志ば漬を添えたことから八瀬の志ば漬と名代賜り今に至っております。八瀬という地名の由来は背中の矢の「矢背」から来ていると言われています。
History of Matatora
「又寅」の志ば漬は、全国各地からわざわざ京都・八瀬に足を運び買い求めるお客様が未だに多くいられます。
2022年まで叡山電車の終点である八瀬駅前にあったお店には、これまでに多くのお客様が「又寅」の志ば漬を買い求めていました。
八瀬駅前にお店がなくなった今でも、「又寅」の志ば漬の味に魅了された多くのお客様は、京都・八瀬に来た際は、楽北離休に「又寅」の志ば漬を買い求めて来られています。
弊店の創業はわずか約半世紀前といった京都では極めて若僧的な店ですが、先代が農業に従事していた事から野菜及び漬物の製造販売を始めましたことがきっかけでした。またこれらのノウハウを活かした上で八瀬大原が発祥の志ば漬のみに注力し店舗販売としては工場直売→出町柳→八瀬比叡山口駅前そして現在、自宅販売と拠点を原点へ戻し、これからも「当時の質を当時の価格のままで」を志した商いをして参ります。