Sightseeing

周辺観光

ひえいで行く!
大人の旅[京都・八瀬]

京都中心部から洛北へ!

HIEI(ひえい)は八瀬の魅力を伝える
新しい旅へあなたをご案内します。

千年以上も前より多くの歴史の舞台となった原風景が、今もなお季節の彩を変えずに残されています。叡山電車はゆっくりとした時にお連れするように、京都八瀬に向かいます。

Station

京都にはヨーロッパを感じさせる素敵な駅舎があります。
八瀬比叡山口駅。自然と調和したかわいい駅舎。

Rakuhoku Rikyu Route

楽北離休ルート

Yase

八瀬

比叡山ふもとの左京区若狭街道に点在する山間の集落の名。都心から10キロの風光明媚な名所。春は桜、秋は紅葉が有名。壬申の乱(672)の際、大海人皇子がここで背に矢傷を負ったのが地名の始まりと伝わる。

Takano River

高野川

八瀬流域では八瀬川とも呼ばれています。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉の名所で見事なコントラストを描きます。八瀬の見所はその自然の美しさです。比叡山をはじめとする山々を望み、綺麗な高野川が流れます。木々や植物、緑が豊かであり、四季折々鮮やかな彩りが見られます。春の桜、秋の紅葉などが特に有名です。

Renge-ji

蓮華寺

蓮華寺は高野川のほとり、比叡山を間近に望む、上高野の地にある。 もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗寺院であり、応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の寛文2年(1662年)に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が祖父 重直を供養するために現在の地へ移し再興した。蓮華寺の庭園は、鴨川の源流の一つ 高野川の清流を引き込んでつくられています。作庭には石川丈山や狩野探幽らが関わったと伝わっています。

蓮華寺の見どころ
豊かな自然と静寂で厳かな小野の里、中世格式の庭園美

蓮華寺の庭園は、鴨川の源流の一つ 高野川の清流を引き込んでつくられています。池泉鑑賞式庭園ですが、スリッパが用意されており庭園を歩いてまわることができます。庭園に降りた後の写真撮影は禁止です。蓮華寺の境内はもみじが多く、新緑と紅葉の季節が特に美しい。

Seiken-ji

栖賢寺

栖賢寺は、南北朝時代の康永年間(今から約650年前)、尼崎大物の地に臨済宗大徳寺派の寺院として、大徳寺74世竺堂円瞿(じくどうえんく)禅師によって開山されました。

本能寺の変の後、明智光秀勢の待ち伏せにあった秀吉が、剃髪し僧形になって栖賢寺に身を隠し難を逃れた逸話が『絵本太閤記』に残っています。この逸話がそのまま史実であるかどうかは分かりませんが、秀吉の軍議が栖賢寺で開かれたことや、千利休との関わりはあったようです。その縁からか、天下統一後の秀吉より寺領を寄進されています。中興開山は、大徳寺総見院において、織田信長の葬儀の導師を勤めた、笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)禅師。

近代に入り荒廃していた当山は、実業家で数寄者であった山口玄洞氏の寄進により、臨済宗方広寺派元管長、間宮英宗老師を昭和の中興開山として、昭和7年、京都市左京区上高野の現在地に移転再建されました。山口玄洞氏は多数の寺社仏閣の復興に尽力した人物ですが、寄進するにあたってその寺が、由緒正しい寺である事、悪人でも襟を正すような景勝の聖地にある事などを条件にしたといいます。

現在栖賢寺は、無檀家の禅寺です。

栖賢寺WEBサイトより

Ohara Sanzen-in Route

大原三千院ルート

天台宗 京都大原三千院

Kyoto Ohara Sanzen-in

三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まります。

明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになる。明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる。

その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、最雲法親王入室により、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となりました。寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を火災や応仁の乱などにより幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と呼称されてきました。明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになりました。明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史を紡いでいます。

天台宗 京都大原三千院WEBサイトより

三千院の見どころ

広々とした庭園、こころ癒される三千院の境内

聚碧園(しゅうへきえん)

客殿の庭園、聚碧園は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成しています。

江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ・1584-1656)による修築と伝えられています。

聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ一首に由来し、その桜は西行法師のお手植えとも、頓阿上人の友、陵阿(りょうあ)上人のお手植えとも伝えられています。

わらべ地蔵

往生極楽院南側、弁天池の脇にたたずむ小さなお地蔵さまたち。

有清園の苔と一体となってきれいに苔むしており、もう何年も前からずっとたたずんでくださっているようです。わらべ地蔵と名づけられたこのお地蔵さまたちは、石彫刻家の杉村孝氏の手によるものです。

弁財天

往生極楽院を過ぎ、金色不動堂に向かう参道脇に、弁財天が祀られています。『京の七福神』のうちの一つとなっており、そのほかの『京の七福神』は恵美須(ゑびす神社)、大黒天(妙円寺)、毘沙門天(毘沙門堂)、布袋尊(長楽寺)、福禄寿(護浄院)、寿老人(行願寺)です。

瑠璃光院

Rurikoin

比叡山の麓に位置し、四季折々に色づく景観が古来より人々を惹きつける京都・八瀬。この地にあり、春と秋には多くの人々が訪れる名所となっているのが、無量寿山光明寺 京都本院 瑠璃光院です。瑠璃とは、極楽浄土を飾る七宝の一つである浄土の色。種々の楓が繁茂する深山の地に、幾重もの苔に覆われ清らかな泉が湧く。その主庭全体がまさに瑠璃色に輝かんとする様子から「瑠璃光院」という寺号がつけられました。

瑠璃光院の見どころ

瑠璃光院WEBサイトより

書院

典雅な中にも匠の技が光る名建築。

「瑠璃の庭」を一望して、至福のひとときがゆるやかに流れます。

瑠璃の庭

一面に苔の絨毯で覆われた当寺の主庭。

苔の間を縫って一条のせせらぎは優美な曲線を描き、清らかに流れます。

Hieizan Enryakuji Route

比叡山延暦寺ルート

Eizan Cable

叡山ケーブル・ロープウェイ

日本最大!高低差561mの「叡山ケーブル」

八瀬から比叡山頂まで、壮大な自然風景を楽しみながら移動できる叡山ケーブル・ロープウェイは、標高差561mで日本一を誇るケーブルで、約1.3㎞を9分間で結んでいます。さらに、ケーブル終点からロープウェイに乗り換えて、山頂までは約3分。新緑や紅葉など季節の景観とともに、京都市街が一望できる空中散歩が楽しめます。

Autumn Leaves Path

八瀬もみじの小径

八瀬もみじの小径は、叡山ケーブル「ケーブル八瀬駅」横にある散策道で、群生する紅葉を楽しめるスポットで、「平安遷都千百年紀念塔」や高野水力発電跡など歴史を感じさせる名所も見どころです。

左:法華総持院東塔 右:阿弥陀堂

天台宗 総本山 比叡山延暦寺

Hieizan Enryaku-ji

延暦4年(785)、伝教大師最澄は比叡山に入り小さな草庵を結びました。その三年後には一乗止観院を創建し、ここを鎮護国家の根本道場と定めました。これが今日の根本中堂です。比叡山は日本仏教の母山とも称され、法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、栄西禅師、道元禅師、日蓮聖人など日本仏教の各宗の祖師がここで学び、あるいはここで出家得度しています。

天台宗 総本山 比叡山延暦寺WEBサイトより

「延暦寺」は、比叡山の山内にある1700ヘクタールの境内地に点在する約100ほどの堂宇の総称で、延暦寺という一棟の建造物があるわけではありません。広大な境内に多数のお堂があるので、ここでは全て紹介しきれませんが、1日かけて延暦寺観光をお楽しみいただけます。

東塔エリア

Toudou Area

総本堂「根本中堂」

東塔にある根本中堂は、延暦寺最大の仏堂であり、延暦寺の総本堂にあたります。伝教大師最澄が788年に創建した一乗止観院が元で、織田信長による比叡山焼き討ちの後に、慈眼大師天海が時の将軍 徳川家光に進言し1642年に再建された国宝です。最澄が788年に創建した一乗止観院が元となっており、その後何回も災害に遭いましたが、復興の度に規模も大きくなりました。「不滅の法灯」も安置されています。根本中堂では、改修工事が実施中です。工事期間中も参拝可能で、文化財が継承されゆく貴重な光景を間近でご覧いただけます。

「不滅の法灯」

根本中堂の内陣にあり、薬師如来の前に黄金色で菊の紋が入った六角形の灯籠が3つ、僧侶の方々が毎朝夕に菜種油を絶やさないように注ぎ足し、開創以来1200年以上も灯し続けられその灯を守り続けています。

法華経の教えを表すこの光は、「末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らし、すべての人々が救われるように」と願いを込め供えたのでした。まさに平和を象徴する灯といえます。

東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。

伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。東塔地域には、延暦寺バスセンターがあり、比叡山山頂、西塔、横川地域へのシャトルバスや京都市内行きの路線バスに乗車することができ、また坂本ケーブルを利用して門前町坂本へ降りることもできます。

境内には、宿坊延暦寺会館があり、食事や宿泊、修行体験をすることもできます。(※要予約)

大講堂の前庭には「平和の鐘(開運の鐘)」があり、参拝者に親しまれています。

西塔エリア

Saitou Area

にない堂(常行堂・法華堂)

同じ形をした2つのお堂が、廊下によって繋がっている特徴的な造りの建築物。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂と呼ばれています。 本尊はお堂ごとに異なっており、正面向かって左の常行堂は阿弥陀如来を、右の法華堂は法華三昧を修す普賢菩薩を本尊としています。

その他のスポット

Other Spot

延暦寺会館内にある 「喫茶 れいほう」の“梵字ラテ”

梵字ラテはカフェラテ、抹茶ラテ、キャラメルラテ(期間限定)の3種類。

「梵字」とは仏教で各干支を守る守護尊を表す文字の事で、注文時に干支を伝えると、それに合った梵字で淹れてくれます。自分の守護尊を表した「梵字ラテ」をお楽しみください。